2025年11月19日水曜日

時計の針は巻き戻せるか? 老化時計から紐解く、 「老い」のメカニズム

生物学的年齢を測る「老化時計」は、老化研究に革命をもたらした。 怪しげなクリニックやサプリメントで利用されるケースもあるが、 老化時計は、科学者たちが生物学における最も深遠な謎を解き明かす手がかりとなっている。 最終的には、「老化というプロセスそのものを逆転できるかどうか」を私たちに教えてくれるかもしれない。 ●記事の3つのポイント ・科学者らがDNAメチル化を基にした老化時計を開発し、生物学的年齢の測定が可能になった ・老化研究分野では基本的定義に合意がなく、現在の時計は個人の正確な予測には限界がある ・若返り実験や細胞リプログラミング研究により、老化プロセスの逆転可能性が示されている 子どもの頃からの知り合いを、どんなふうに老けたのかを見るためだけに、 ソーシャルメディアで検索したことはないだろうか? 名指しは避けるが、私のある同僚は確実にそれをやっていた。 彼は最近、昔の同級生の写真を共有し、「俺たちが同い年だなんて信じられる?」と、どこか得意げに言った。 親戚にもこの手の楽しみを好む人がいる。 子どもの頃から知っている女性の写真を見て、「うわー、この人、おばあちゃんみたいだね」と言うのだ。 確かに、時の流れがもたらす影響は人それぞれである。 しかし、人の体が実際にどの程度うまく、あるいは悪く老化しているかを見極めるのは難しい。 若い頃に加齢関連疾患を発症したり、コレステロールの上昇や炎症マーカーの増加といった 老化に伴う生物学的変化が見られたりする人は、同じ年代でもそうした兆候のない人よりも 「生物学的に高齢」と見なされることがある。 同じ80歳でも、弱々しく衰えている人もいれば、壮健で活動的な人もいるのだ。 メイヨー・クリニックで老化を研究するタミール・チャンドラ博士によれば、 医師たちは以前から、患者の筋力や歩行距離を測定する機能検査を用いたり、あるいは単に見た目から 「この患者は治療に耐えられるかどうか」を推測したりしてきた。 この10年の間に、科学者たちは私たちの体内で進行する老化の隠れた兆候を探る新たな手法を明らかにしてきた。 これらの発見は、老化そのものに対する理解を変えつつある。 「老化時計(エイジング・クロック)」とは、臓器の消耗度を測定し、 私たちの健康状態や寿命についての手がかりを与えてくれる、新しい科学的ツールである。 それが示すのは、生物学的年齢だ。 実年齢が単にこれまでに迎えた誕生日の回数を意味するのに対し、 生物学的年齢はそれよりも深い何か、すなわち体が時間の経過にどう対処しているかを表す指標。 それは、私たちに「残された時間」がどれほどあるかも教えてくれる。 実年齢は変えられないが、生物学的年齢には、介入によって影響を与えられる可能性がある。 老化時計を使っているのは、科学者だけではない。 ブライアン・ジョンソンのような長寿インフルエンサーは、自らが「若返っている」ことを示すために、 老化時計の数値を積極的に利用している。 ジョンソンは4月、X(旧Twitter)に「私のテロメア年齢は10歳」と投稿した。 米国の有名なセレブ一家であるカーダシアン一家もこれを試しており、 クロエ・カーダシアンはテレビ番組で「あなたの生物学的年齢は、実年齢より12歳若い」と告げられた。 私の地元の健康食品店でさえ、生物学的年齢の検査を提供している。 この老化時計を使って、効果が科学的に確認されていない「アンチエイジング(抗老化)」サプリメントの販売を促進している店舗も。 この科学分野はまだ黎明期にある。 老化時計が、個人の生物学的年齢を明確に示せると自信を持って断言する専門家はほとんどいない。 専門家の中には、老化時計の研究分野を、親しみを込めて「時計の世界(clock world)」と呼ぶ者もいる。 彼らの研究成果は、老化時計がインスタ映えのための数字や、いかがわしい宣伝文句、 単なる見た目のインパクト以上の可能性を秘めていることを明らかにしつつある。 老化時計は、科学者たちが生物学における最も深遠な謎を解き明かす手助けをしているのだ。 人はなぜ老いるのか? どうやって老いるのか? 老化はいつ始まるのか? そもそも老いるとはどういうことなのか? 何より重要なことは、老化時計がやがて「老化というプロセスそのものを逆転できるかどうか」を 私たちに教えてくれるかもしれないということだ。 ●時計は動き出す 遺伝子の働き方は、変化することがある。 メチル基と呼ばれる分子がDNAに結合すると、遺伝子によるタンパク質の合成の仕組みが制御される。 このプロセスは「メチル化」と呼ばれ、ゲノム上の数百万カ所で起こりうる。 エピジェネティック(後成的)マーカーは、遺伝子のオン・オフを切り替えたり、産生されるタンパク質の量を増減させたりする。 DNAそのものの一部ではないが、その機能に直接影響を与える。 2011年、当時カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の生物統計学者だったスティーブ・ホーヴァス教授は、 エピジェネティック・マーカーと性的指向の関連性を調べる研究に参加した。 ホーヴァス教授自身は異性愛者で、双子の兄弟であるマーカス(研究にもボランティアとして参加)はゲイであると申告。 この研究では、DNAメチル化と性的指向との関連性は見つからなかった。 データを見直していたホーヴァス教授は、年齢とメチル化の間に非常に強い相関があることに気づいた。 ゲノム上のおよそ88カ所で、それが確認されたのだ。 その瞬間、彼は「椅子から転げ落ちた」と以前の私の取材に語っている。 影響を受けていた遺伝子の多くは、すでに加齢に関連する脳疾患や心血管疾患と関係づけられていたが、 メチル化がそれらにどう関与しているかは不明だった。 2013年、ホーヴァス教授は8000個の組織および細胞サンプルからメチル化データを収集し、 「ホーヴァス・クロック(Horvath Clock)」と呼ばれるモデルを作り上げた。 これは、ゲノム上の353カ所のDNAメチル化情報をもとに年齢を推定する数理モデルで、 組織サンプルからおおむね誤差2.9年以内の精度で年齢を測定できた。 ホーヴァス・クロックは、すべてを変えた。 2013年の発表は、老化時計の研究という新分野の到来を告げた。 ある人々にとって、それは無限の可能性の扉だった。 平均的な老化の進行を把握できるモデルがあれば、個人が平均より速く、あるいは遅く老いているかを推定できるかもしれない。 それは医療を変革し、アンチエイジング薬の研究を加速させるだろう。 老化の本質やその発生理由に迫る手がかりにもなるかもしれない。 「率直にいえば成功例の少ない分野」において、エピジェネティック時計は稀有な成功例だったと、 英国バーミンガム大学で老化を研究するジョアン・ペドロ・デ・マガリャエス教授は言う。 数年をかけて時計の存在が広く知られるようになると、より多くの老化研究者たちがこの手法を自らの研究に取り入れ、 さらには独自の時計を開発し始めた。 ホーヴァス教授はちょっとした有名人になり、学会では科学者たちから自撮りを求められるようになった。 2013年の論文の表紙をプリントしたTシャツを作った研究者までいた。 以降に開発された数多くの老化時計の中には、 「フェノエイジ(PhenoAge)」や「ダニーデン・ペース・オブ・エイジング(Dunedin Pace of Aging)」のように、 独自の注目を浴びたものもある。 前者は血球数や炎症マーカーといった健康データをメチル化情報と組み合わせたモデルであり、 後者は特定の年齢ではなく、老化の速度を示す時計である。 多くの老化時計はメチル化を基にしているが、血中タンパク質や、それに結合する特定の炭水化物分子など、 他のバイオマーカーに基づくものもある。 キングス・カレッジ・ロンドンで老化を研究し、「老化バイオマーカー・コンソーシアム(Biomarkers of Aging Consortium)」の 一員でもあるキアラ・ヘルツォーク特別研究員によれば、 現在では数百どころか数千もの時計が存在する。 研究者それぞれに「お気に入りの時計」がある。 ホーヴァス教授本人のお気に入りは、自身が開発した「グリムエイジ(GrimAge)」である。 この時計は死神(グリム・リーパー)にちなんで名づけられており、死亡までの時間の予測を目的としている。 グリムエイジは、被験者を数十年にわたって追跡調査し、得られたデータを基に訓練されたモデルである。 多くの被験者は、追跡期間中に亡くなっている。 ホーヴァス教授は、この時計を使って誰かの「死の時期」を直接予測することには否定的で、 それは倫理的に問題があると主張。 グリムエイジはその人の生物学的年齢を提示することで、残りの寿命の目安を与えてくれる。 実年齢が50歳でグリムエイジが60歳なら、平均的な50歳よりも、人生の終わりがわずかに近いのかもしれないと推測できる。 グリムエイジは万能ではない。 個人の過去の健康状態から、死亡までの時間を高精度で予測できるが、 たとえば将来タバコを吸い始めるのか、離婚するのか(一般的にはいずれも老化を加速させる)、 あるいは急にランニングを始めるのか(一般的には老化を遅らせる)といった将来の変化を予測することはできない。 「人間は複雑です」とホーヴァス教授。 「予測には巨大な誤差範囲があるのです」。 老化時計は健康や寿命の予測において、かなりの精度を持っている。 105歳を超える高齢者は、生物学的年齢が低い傾向があることも示されており、 これはその年齢まで生きることがいかに稀であるかを考えれば、納得のいく結果である。 高いエピジェネティック年齢は、認知機能の低下やアルツハイマー病の兆候と関連付けられており、 逆に身体的・認知的に健康な状態は、低いエピジェネティック年齢と関連している。 ●ブラックボックス時計 すべての老化時計に共通する課題は、やはり精度だ。 問題の一端は、時計の設計方法にある。 ほとんどの老化時計は、メチル化パターンと年齢を結びつけるように訓練されている。 最も優れた時計であっても、出力される推定値は、あくまでその人物の生物学的状態が平均から どの程度ずれているかを示すものだ。 老化時計はいまも、実年齢をどれほど正確に予測できるかで評価される傾向にあるが、 実年齢と近すぎるのはむしろ問題だと、シフト・バイオサイエンス(Shift Bioscience)で 機械学習部門の責任者を務めるルーカス・パウロ・デ・リマ・カミロは指摘する。 彼は、2.55年以内の誤差で年齢を推定できる時計を開発し、 「バイオマーカーズ・オブ・エイジング・コンソーシアム(Biomarkers of Aging Consortium)」から1万ドルの賞金を授与された。 1人の人間の生物学的年齢を予測できるほど、正確な老化時計は存在しない。 同一の生体サンプルを異なる5つの時計に通すと、まったく異なる5つの結果を得ることになる。 「一種のパラドックスがあります」とカミロは言う。 時計が実年齢の予測に優れていればいるほど、それ以外の情報、とりわけ生物学的年齢を得ることは難しくなる。 何歳かを知るだけなら、わざわざ老化時計を使う必要はないのだ。 カミロは、「完璧」に近い年齢予測をする時計ほど、死亡率の予測が不正確になる傾向があることに気づいた。 老化時計の開発・応用に携わる科学者たちが直面している、もうひとつの根本的な問題がある。 それは、彼らが測定している「それ」が、実際には何なのかという問いだ。 この分野では、老化の定義そのものから、その発生メカニズム・原因に至るまで、 基本的な点でさえ専門家間で合意が取れていないため、これは非常に難しい問題である。 唯一の合意点は、老化は極めて複雑だということである。 メチル化ベースの老化時計は、化学マーカーの集まりを個人間で比較した結果を示すにすぎない。 せいぜい「エピジェネティック年齢」の推定値を与えているだけだと、タミール・チャンドラ博士は語る。 老化の他の側面を示しうる生物学的マーカーは、おそらく多数存在するだろう。 「すべての老化マーカーを測定できる時計など存在しません」。 なぜ一部のメチル基が年齢とともに現れたり、消えたりするのかも分かっていない。 これらの変化は老化の原因なのか? それとも単なる副産物なのか? 90歳の個体に見られるエピジェネティックなパターンは、衰えの兆候なのか? それとも長寿をもたらした要因なのか? いずれも未解明だ。 問題をさらに複雑にしているのは、異なる2つの時計が、ゲノム上のまったく別の領域のメチル化を測定していながら、 似たような結果を出すことがある点だ。 その理由も、どの領域に注目すべきかも、現時点では誰にも分かっていない。 「バイオマーカーには、ブラックボックス的な性質があります」。 ハーバード大学医学部ブリガム・アンド・ウィメンズ病院のジェス・ポガニック博士。 「因果関係があるものもあれば、適応的なもの、中立的なものもあるでしょう。 ただランダムに起きているだけかもしれません」。 「発生しない理由は何もない」か、「偶然のチャンスによって発生するだけ」かもしれない。 現時点では、いかなる老化時計も、個人の生物学的年齢を正確に予測するレベルには達していない、ということだ。 同一の生体サンプルを5つの異なる時計にかければ、まったく異なる5つの結果が出てくる。 同じ時計でさえ、サンプルを複数回通すと異なる結果を出すことがある。 「個人単位での予測は、まだ不可能です」とヘルツォーク特別研究員。 「この時計の結果が、その人にとって何を意味するのか、あるいはその人が病気になる可能性が高いのか低いのか、 私たちには分かっていません」。 こうした理由から、多くの老化研究者たちは、自分のエピジェネティック年齢を測ろうとすらしない。 「仮に測ってみて、生物学的年齢が実年齢より5歳上だったとしましょう。 だから何なんです?」マガリャエス教授はこう言って肩をすくめる。 「大して意味のある数字だとは思いません」。 このように解釈が難しい現状では、老化時計は臨床現場では役に立たないと思うかもしれない。 それでも、多くのクリニックが老化時計を提供している。 一部の長寿クリニックでは慎重に、複数の時計を定期的に使用し、経時的に測定結果を追跡している。 単に「長寿治療パッケージ」の一部として、生物学的年齢の推定値を提供しているクリニックもある。 老化時計をサプリメント販売に利用する者もいる。 寿命を延ばす効果が、科学的に証明された薬やサプリメントは存在しない。 規制の緩いウェルネス業界では、ローションからハーブ錠剤、さらには幹細胞注射に至るまで、 さまざまな「治療法」が次々と登場している。 こうした業者の中には、老化研究の学会にまで姿を見せる者もいる。 あるイベントでは、1人のCEOが登壇し、「自社のサプリメントの効果で自分の生物学的年齢が18歳若返った」と主張。 ポンセ・デ・レオン・ヘルス(Ponce de Leon Health)のトム・ウェルドンCEOは、白髪が茶色に戻ってきたとも語った。 彼は、「長寿脱出速度(longevity escape velocity)」に到達するほど、急速に若返ったというのである。 彼のサプリメントを購入した人が「ベンジャミン・バトン効果」のようなものを期待していたとしたら、がっかりするかもしれない。 ポンセ・デ・レオン・ヘルスは、「Rejuvant(リジュバント)」と呼ばれるこのサプリメントについて、 アンチエイジング効果を実証するランダム化比較試験をまだ実施していないのだ。 ウェルドンCEOは、こうした試験には数年と数百万ドルの費用がかかるため、 実施するには「製品価格を4倍以上に引き上げなければならない」 (同社はこれまでに、有効成分のマウス試験と、ヒトを対象とした暫定的な試験は実施ている)。 老化時計が「手っ取り早く稼ぐ」手段として利用されている場面を見ると不快に感じると、ホーヴァス教授は言う。 同時に、こうした販売業者の多くは、時計にも製品にも本当に信頼を置いているのだろうとも語る。 「人は、自分のナンセンスを本気で信じてしまうものです。 自分が発見したことに熱中するあまり、その思い込みに囚われてしまうのです」。 老化時計の精度は、研究には有用なレベルに達しているが、個人単位での予測に使えるほどではない。 たとえある時計が「あなたの生物学的年齢は実年齢より5歳若い」と示したとしても、 それが「5年長く生きられる」ことを意味するわけではないと、マガリャエス教授。 「老化研究の分野は、昔から『いかがわしい商売』と誇大宣伝の温床でした。 この分野に関わる限り、それは避けられないものです」 (ウェルドンCEOはRejuvantについて「臨床的に意味のある効果が唯一確認されている製品だ」と主張)。 どんな宣伝であれ無いよりはマシだと思う、とマガリャエス教授は付け加えた。 それがこの問題の核心だ。 老化研究の多くの関係者は、老化時計がもたらした注目や利用のされ方に対して、複雑な思いを抱いている。 彼らは、老化時計が一般消費者向けに使われるにはまだ早すぎることでは一致しているが、注目自体は歓迎している。 長寿研究には莫大な費用がかかる。 資金提供の増加と、それに伴う長寿関連のバイオテクノロジー企業の急増により、老化研究に関わる科学者たちは、 これから本格的なイノベーションと進歩が始まることに期待している。 科学者たちは老化時計の評判が、インフルエンサーやサプリ販売業者の行為によって台無しになることを恐れている。 こうした人々が「生物学的年齢」を使って注目を集める一方、 科学者たちはいま、老化時計を用いていくつかの驚くべき発見をしている。 その発見は、私たちの老化に対する考え方そのものを変えようとしているのだ。 ●若返りの方法 ジム・ホワイト助教授がメスを準備する傍らで、麻酔によって意識を失った2匹の小さなマウスが並んで横たわっている。 どちらも同じ品種だが、外見はまるで違う。 1匹は生後3か月の若いマウスで、毛は黒々として厚く、光沢もある。 もう1匹は生後20か月で、明らかに老いている。 毛並みはまばらで白髪交じり、ヒゲは短く、全体的に弱々しく見える。 これから2匹はある意味で「同じ体」を共有することになる。 ホワイト助教授は研究仲間の助けを借りて、2匹の体の側面に切開を入れ、同じ側の前肢と後肢の上部にも切り込みを加える。 その後、皮膜や筋膜、皮膚を丁寧に縫い合わせ、2匹の体を結合する。 処置には約1時間を要し、その後、2匹のマウスは麻酔から覚醒する。 最初はふらつきながらお互いから離れようとするが、 数日もすると、体がつながった状態を受け入れ始める。 まもなく2匹の循環器系が融合し、血流も共有されるようになる。 「人間は複雑です。予測には巨大な誤差範囲があるのです」 (カリフォルニア大学ロサンゼルス校 スティーブ・ホーヴァス教授) デューク大学で老化を研究するホワイト助教授は、マウスを縫い合わせて結合する実験を何年も続けてきた。 「異時性パラバイオーシス(並体結合)」と呼ばれる奇妙な処置を100回以上実施しており、 その過程でホワイト助教授は興味深い現象を目にしている。 年老いたマウスが、若返ったように見えるのだ。 異時性パラバイオーシスによる実験は何十年も前からされているが、一般的にマウス同士の結合は数週間にとどまる。 ホワイト助教授と共同研究者たちは、マウスを3カ月間(人間でいえば約10年に相当)結合させ続け、 その後慎重に分離し、個体の状態を評価した。 「すぐに離れたがると思うでしょう?でも実際は、切り離したあと、2匹はお互いについて回るんです」。 この実験で最も注目されたのは、若いマウスと結合していた老マウスが、同年齢のマウスよりも長生きしたことだ。 「寿命が約10%延びただけでなく、機能も多く維持していました」とホワイト助教授。 彼らはより活発で、より長く体力を保っていたという。 その老マウスに対して老化時計を使ってみると、予想よりも若いエピジェネティック年齢が示されたと、 ポガニック博士らホワイト助教授の共同研究者は報告。 「若い血液循環が、老マウスの老化を遅らせたのです」とホワイト助教授。 その効果は、少なくとも一定期間は持続していた。 「我々の予想よりも、若々しさが長く保たれていました」。 一方で、若いマウスのほうは逆の影響を受けた。 結合されている間と、切り離された直後には、生物学的に老けて見えたのだ。 ただし、こちらの効果は長続きせず、「若いマウスは再び若さを取り戻しました」とホワイト助教授。 この結果からホワイト助教授が得た洞察は、「若々しい状態」が何らかの方法でプログラムされている可能性がある。 それは、私たちのDNAに書き込まれているのかもしれない。 つまり、老化は避けられない運命ではないかもしれない。 老化研究における核心に関わる問いである。 老化とは何か? なぜそれは起こるのか? 老化とは単なる損傷の蓄積だとする考えもあれば、成長や発達と同じく、あらかじめプログラムされた過程だとする立場もある。 手足の成長や脳の発達、思春期、閉経などと同様に、老化も予定されたプロセスだというわけだ。 ある理論では、初期の成長に必要なプログラムが、後年になって害を及ぼすだけだとする考え方もある。 こうした異なる意見すべてに同意する研究者も存在する。 ホワイト助教授の理論は、老いることは「若さの喪失」にすぎない、というものだ。 そうであるならば、希望はある。 若さがどのように失われるのかを理解することができれば、それを取り戻す方法も見えてくるかもしれない。 若さのプログラムを何らかの形で再起動することが、その手がかりになるかもしれない。 ●犬とイルカ ホーヴァス教授の名を冠した老化時計は、体内のさまざまな組織から採取されたDNAサンプルのメチル化状態を測定することで開発された。 それらすべての組織に共通する老化指標を示すように見えたため、彼はこの時計を「汎組織時計(pan-tissue clock)」と呼んでいる。 私たちの臓器が、それぞれ異なるペースで老化すると考えられている中で、 1つの時計が複数の臓器の老化を推定できることは驚くべきことだ。 ホーヴァス教授は、さらに野心的な計画があった。 あらゆる哺乳類に対応する汎種モデルの構築である。 彼は2017年、世界中の研究者たちにメールで連絡を取り、それぞれが扱ってきた動物の組織サンプルの提供を依頼した。 動物園にも協力を呼びかけた。 「ある研究者が、キャリアをかけて組織サンプルを集めていることを知りました。 「冷凍庫いっぱいに保存していたんです」。 協力的な研究者たちは、その凍結組織やDNAをカリフォルニアのホーヴァス教授の研究室に送った。 それらは新しいモデルの訓練に使われた。 ホーヴァス教授は当初、約30種の動物を対象にするつもりだったが、最終的には、200人の科学者から、 犬からイルカまでを含む348種の生物にわたる約1万5000のサンプルを受け取ることになった。 果たして、1つの時計でそれらすべての年齢を推定できるのだろうか? 「失敗すると思っていました」とホーヴァス教授は振り返る。 「でも私は完全に間違っていました」。 彼らのチームが開発したのは、ゲノム上の3万6000カ所のメチル化を評価する時計だった。 2023年に発表されたこの汎哺乳類時計は、あらゆる哺乳類の年齢を推定できるだけでなく、その種の最大寿命の予測も可能だった。 このデータセットは誰でもダウンロード可能で、「誰かがこのデータを使って、健康寿命を延ばす鍵を見つけてくれることを願っています」。 汎哺乳類時計は、老化に共通する何かが存在することを示している。 すべての哺乳類が似たような形で老いるだけでなく、似たような遺伝的あるいはエピジェネティックな要因が、 その背景にある可能性を示している。 英国エジンバラ大学で老化を研究するエピジェネティクス研究者ネリー・オロヴァによれば、 哺乳類間の比較からも「メチル化の変化が遅いほど寿命が長くなる」という仮説が支持される。 「DNAメチル化は、年齢とともに徐々に崩れていきます。 指令そのものは残っていても、だんだん乱雑になっていくのです」。 さまざまな哺乳類を対象にした研究からは、細胞が機能停止するまでに耐えられる変化の量には限界があることが示されている。 「細胞が耐えられる変化の量には限界があります」とオロヴァ。 「指令が乱れてノイズが多くなりすぎると、細胞は生命維持に必要な機能を果たせなくなります」。 オロヴァは、老化時計の針がいつから動き出すのか、つまり老化が始まる瞬間を調べている。 老化時計は、ボランティアから収集したデータと、それらデータのDNA上のメチル化パターンを実年齢に一致させることで訓練される。 訓練された時計は、通常であれば、成人の生物学的年齢の推定に使われる。 子どもや赤ちゃんから集めたサンプルを入力することもできる。 胚を構成する細胞の生物学的年齢を、時計を使って計算することもできる。 オロヴァのチームの研究では、成人の皮膚細胞が用いられた。 これらの細胞は、2000年代にノーベル賞を受賞した研究によって、胚に似た状態の多能性幹細胞へと「リプログラミング」できる。 オロヴァの研究チームが「部分的リプログラミング」の手法で細胞をその状態に寄せていくと、 完全なリプログラミング状態に近づくほど、細胞が「若返る」ことが判明した。 リプログラムから約20日後、細胞の生物学的年齢がゼロに達したことが老化時計によって分かった。 「少し非現実的でした」とオロヴァは語る。 「多能性細胞の測定値はマイナス0.5で、ゼロをわずかに下回っていたのです」。 これに関連して、ハーバード大学の著名な老化研究者ヴァディム・グラディシェフは、 胚にも同様の「マイナスレベルの老化状態」が当てはまる可能性を提唱。 結局のところ、胚形成の初期段階には何らかの若返りが起こっている。 老化した卵細胞と老化した精子細胞が、まったく新しい細胞を作り出すのだ。 すべてが白紙に戻るのである。 グラディシェフはこの時点を「グラウンドゼロ」と呼び、「中期胚の状態」のどこかでそれに到達すると推測する。 老化の開始と「生物としての命」の始まりは同時に訪れるというのが彼の主張だ。 「これは『生命はいつ始まるのか』という哲学的な問いとも重なっていて、非常に興味深いです」とオロヴァは言う。 生命は、受精の瞬間に始まるとする説もあれば、胚が統一的な構造を持ち始める段階が重要だとする考え方もある。 オロヴァによれば、「グラウンドゼロ」は、身体の設計図が定まり、それに沿って細胞が組織化を始める瞬間だという。 「それ以前は、単なる細胞の集まりにすぎません」。 これは、「生命の始まりが胚の段階である」と断言するものではない。 老化が始まる時点を示している可能性はある。 それは、「世代をまたいで損傷が除去される過程」の結果かもしれないと、ポガニック博士は補足する。 この研究はまだ初期段階であり、科学的結論を出すには時期尚早だ。 だが、老化が始まるタイミングを知ることができれば、 その時計を巻き戻す方法を見つけるための重要な手がかりになるかもしれない。 もし科学者たちが細胞にとって理想的な生物学的年齢を特定できれば、 古い細胞をその若い状態へと戻す方法が見つかるかもしれない。 また、ある特定の年齢に達したときに老化を遅らせる方法も見つかる可能性がある。 「おそらく、白髪が生えそろう前に老化を狙い撃ちできるチャンスがあるかもしれません」とポガニック博士。 「現在の高齢者医療よりも、ずっと早い段階での介入が可能になる理想的なタイミングがあるのかもしれません」。 ●若年と老年の結合 ホワイト助教授が初めてマウスを縫い合わせる実験をしたとき、彼は何時間もかけてその様子を座って見守った。 「ほら見てくれ! くっついてるのに、全然気にしてないじゃないか! って思ったんですよ」。 その後、彼はいくつかのコツを覚えた。 実験には、主にメスのマウスを使うようになった。 オスはよくいがみ合って噛みついたりするが、メスは互いにうまくやっているように見えるという。 マウスのこうしたつながりが生物学的年齢に及ぼす(たとえ一時的でも)影響は、 老化時計が「生物学的年齢の可塑性」を理解するうえで役立つことを示す一例である。 ホワイト助教授と共同研究者は、たとえばストレスが生物学的年齢を押し上げるように見えても、 そのストレスが解消されれば影響は元に戻ることも発見している。 妊娠と新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染も、両方に同様の可逆的な影響を及ぼす可能性がある。 ポガニック博士は、こうした発見が臓器移植への応用につながる可能性を考えている。 移植前に臓器の生物学的年齢を測定し、何らかの方法で若返らせることができるかもしれないのだ。 老化時計によって得られた新たなデータは、この話が想像以上に複雑である可能性を示している。 ポガニック博士の研究チームは、生きた患者から移植直後に採取した心臓組織の生物学的年齢を、 メチル化時計を用いて測定している。 若い心臓は高齢者の体内でもうまく機能するが、その生物学的年齢は時間の経過とともに、受容者の年齢に近づいていく。 この調査結果はまだ公表されていないが、ポガニック博士によれば、若年者に移植された高齢の心臓でも、 同様のことが起きる可能性があるという。 「数カ月もすれば、その臓器の組織は宿主の生物学的年齢に同化するかもしれません」と彼は語る。 それが事実なら、若い臓器の恩恵は一時的なものにすぎないことになる。 個別の臓器を若返らせることに取り組んでいる科学者たちは、 たとえば造血幹細胞のような、全身に効果をもたらす再生細胞に注目する必要があるかもしれない。 そうした細胞を、「グラウンドゼロ」に近い若々しい状態へリプログラムすることが、進むべき道なのかもしれない。 全身の若返りにはまだ時間がかかるだろう。 それでも科学者たちは、老化時計が人間の老化を逆転させる手がかりをもたらすかもしれないと期待。 「エピジェネティック時計をより若々しい状態にリセットできる装置があります」とホワイト助教授。 「つまり、私たちには時計を巻き戻す力があるのです」。 This article is provided by MIT TECHNOLOGY REVIEW Japan Copyright ©2025, MIT TECHNOLOGY REVIEW Japan. 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