2023年12月18日月曜日
「死」とは何か? 覆る概念、あいまい化する境界線
2023年12月11日(月)
神経科学の研究が進むにつれて、死ぬことはプロセスであり、
生と死の間に明確な境界線はないことがわかってきた。
死のプロセスをより正確に理解できれば、
死を迎えたが、体はまだ比較的無傷である人たちを救えるようになるかもしれない。
出生証明書が人生の始まりのときを意味するように、
死亡証明書はその終わりの瞬間を記すものだ。
この慣行は、生と死を2つの対極的なものとして捉える従来の概念を反映したものだ。
私たちは、突然灯りが消されたように亡くなってしまうまで生き続ける。
死についての考えが広く浸透している一方、
それは時代遅れの社会通念であり、実際には生物学に基づいたものではないという証拠が固まりつつある。
死ぬことは実際にはプロセスであり、人がそれを越えると戻って来れない、
という明確な境界線はそこにはない。
科学者や多くの医師は、死に関するこのより微妙な解釈をすでに受け入れている。
世の中がその考えに追いつくにつれて、生の意味合いは奥深いものになる可能性がある。
「多くの人が再び生き返る可能性があります」と、
ニューヨーク大学ランゴーン医療センター救急救命・蘇生研究部長のサム・パーニア博士。
神経科学者は、脳が驚くべきレベルの酸素欠乏にも耐えることができることを学びつつある。
これは、医師が死のプロセスを覆すまでの猶予時間が、いつかの日か延びる可能性があることを意味する。
他の器官も同様に、現在の医療行為に反映されているよりも、
はるかに長い時間にわたって回復の見込みがあるようで、
臓器提供の可能性が広がることが期待される。
そのためには、私たちが生と死をどのように考え、どのようにアプローチするかを再考する必要がある。
パーニア博士は死について、人がそこから戻ることができない出来事として考えるのではなく、
むしろ酸素欠乏の過渡的なプロセスであり、相当の時間が経過するか、
医療介入が失敗した場合に覆すことができなくなることとして考えるべきだという。
私たちが死についてこのような考え方をするようになれば、
「突然、誰もが『死を治しましょう』と言うようになるでしょう」とパーニア博士は話す。
●死の概念を覆す
死の法的および生物学的定義は、
一般的に心臓、肺、脳によって支えられている生命維持プロセスの「不可逆的な停止」を指す。
心臓は最もよく不具合を起こす部位で、人類の歴史の大部分において、
心臓が停止すると大抵は元に戻らなかった。
1960年頃に心肺蘇生法が発明されて、その状況は変わった。
それまでは、心拍停止の再開は、ほぼ奇跡の産物だと考えられていた。
今では、それは現代医学で達成可能な範囲内にある。
心肺蘇生法により、死という概念を初めて大々的に再考することになった。
「心停止」という言葉が辞書に登録され、
一時的な心機能の喪失と生命の永久停止との間に明確な意味上の分離が生まれた。
心肺蘇生法とほぼ同時期に、肺に空気を送り込むことで機能する機械式陽圧人工呼吸器が出現したことで、
たとえば頭部への銃撃、重度の脳卒中、交通事故などで致命的な脳損傷を負った人でも、
呼吸を続けることが可能となった。
これらの患者が亡くなった後の解剖で、研究者らは一部の患者の脳が深刻な損傷を受けており、
組織が液化し始めていることを発見した。
シアトルにあるアレン脳科学研究所の神経科学者クリストフ・コッホ博士は、
このような場合、人工呼吸器は基本的に「心臓が鼓動する死体」を作り出していたと語る。
これらの所見は、脳死という概念につながり、
心臓の鼓動が停止する前にそのような患者の死亡宣告ができるかどうかについて、
医学的、倫理的、法的な議論をするきっかけとなった。
最終的には多くの国が、この新しい死の定義を何らかの形で採用した。
脳死であれ、生物学的な死であれ、そのプロセスの背後にある科学的な複雑さは、
はっきりとは解明されていない。
ベルギーのリエージュ大学の神経科学者シャーロット・マルシャル博士は、
「死につつある脳の特徴を詳しく調べれば調べるほど、疑問が増えます。それはとても複雑な現象です」。
●瀬戸際の脳
これまで医師たちは、脳は酸素が供給されなくなってから数分後にダメージを受け始めると考えてきた。
ミシガン大学の神経科学者ジモ・ボルジギン准教授は、
「なぜ私たちの脳は、これほど壊れやすい構造になっているのか疑問に思うはずです」
最近の研究では、おそらく実際にはそうではないことが示唆されている。
科学者らは2019年、4時間前に屠殺場で首を切り落とされた32頭のブタの脳の一連の機能を回復させることができたと
『ネイチャー』誌で報告した。
この研究者らは、保護薬剤のカクテルを注入した酸素を豊富に含む人工血液を使って、
脳内の血液循環と細胞活動を再開させた。
ニューロンの発火を止める薬剤も使われ、ブタの脳が意識を取り戻す可能性を阻止した。
彼らはこの実験の終了まで、脳を最長36時間生かし続けた。
「私たちの研究は、おそらくこれまで考えられていたよりも、
はるかに多くの酸素欠乏による脳のダメージが回復可能であることを示しています」と、
論文の共著者でイェール大学の生命倫理学者スティーブン・レーサム博士。
2022年、レイサム博士とその同僚は2本目の論文をネイチャー誌で公開し、
1時間前に殺された全身状態のブタの脳や心臓など、複数の器官の多くの機能を回復させることができたと発表。
レイサム博士らはこの実験を6時間続け、麻酔をかけられ、
死んだとされる動物が血液循環を取り戻し、多くの重要な細胞機能が活性化したことを確認した。
「これらの研究が示しているのは、生と死の境界線が私たちがこれまで考えていたほど明確ではないということです」と、
イェール大学医学部の神経科学者で、ブタに関する両方の研究の上席著者であるネナド・セスタン博士。
死には「私たちが思っているよりも長い時間がかかりますが、
少なくともその一部のプロセスは停止させて元に戻すことができるのです」
数は少ないが、人間を対象とした研究でも、
脳は心臓の鼓動が止まった後の酸素欠乏への対処において、
私たちが考えているよりも優れていることが示唆されている。
「脳が生命を維持するための酸素を奪われると、異常な電気サージが起こることがあるようです」とコッホ博士。
「理由はわかりませんが、少なくとも数分間は過活動状態になります」。
9月にリサシテイション(Resuscitation)誌に発表された研究で、
パーニア博士とその同僚は、入院中に心停止を経験した85人の患者から、
脳内の酸素と電気活動のデータを収集した。
ほとんどの患者の脳活動は最初、脳波モニター上で平坦となっていたが、
そのうちの約40%では、心肺蘇生の開始から最長60分の間に、
それら患者の脳内で正常に近い電気活動が断続的に再出現した。
5月に米国科学アカデミー紀要(PNAS:Proceedings of the National Academy of Sciences)に発表された研究で、
ボルジギン准教授とその同僚は、2人の昏睡患者の脳の活動が、
人工呼吸器を外された後に急増したことを報告した。
同准教授によると、脳波のサインは患者が死亡する直前に発生し、意識がある状態の特徴がすべて示されていた。
不明な点は多く残されているが、このような発見は死のプロセスと意識のメカニズムについて、興味深い疑問を提起する。
●死後に生きる
死のプロセスの背後にあるメカニズムについて、
科学者が学べば学ぶほど、「より体系的な救命活動」が開発される可能性が高まるとボルジギン准教授は言う。
最良のシナリオでは、この一連の研究によって
「医療行為のあり方が塗り替えられ、多くの人々の命が救われる可能性があります」。
人はいつかは死ぬ運命であり、救うことができないときが来るだろう。
死のプロセスをより正確に理解できれば、これまで健康であったものの、予期せぬ形で早期の終わりを迎え、
しかし体はまだ比較的無傷である人たちを医師が救える可能性がある。
心筋梗塞に見舞われた人、致命的な失血で亡くなる人、窒息や溺れた人などである。
このような人たちの多くが死亡し、亡くなったままであるという事実は、
単に「適切なリソースの割り当て、医学的知識、生き返らせるための十分な進歩の欠如」を反映しているとパーニア博士は言う。
ボルジギン准教授の望みは、最終的に死のプロセスを「秒刻みで」理解することだ。
これを解明できれば、医学の進歩に貢献できるだけでなく、
「脳機能に関する理解を修正して、革命的に変える」ことができると言う。
セスタン博士も同様に、ブタの脳や他の器官の代謝機能を回復させるために使った「技術を完成させる」ことを目指して、
同僚とともにフォローアップ研究に取り組んでいる。
この一連の研究は、最終的には、心臓が停止した人の脳や他の器官の酸素欠乏による損傷を
(もちろん、ある程度までではあるが)回復させることができる技術につながる可能性がある。
この方法が成功すれば、医師が実際に亡くなった人から臓器を回収する猶予時間が延長され、
臓器提供が可能な人の数が増える可能性がある。
このようなブレークスルーが実現するとしても、
何年にもおよぶ研究が必要になるだろうとセスタン博士は強調する。
「誇張しすぎたり、過度に約束したりしないことが重要。
だからといって、私たちにビジョンがないという意味ではありません」。
一方で、死のプロセスに関する進行中の研究は、間違いなく私たちの死の概念に挑戦し続け、
神学的なものから法律的なものまで、科学や社会の他の領域に大きな変化をもたらすだろう。
「死は神経科学のものではありません。私たち全員が死と関係しているのです」。
https://medicalai.m3.com/news/231211-news-mittr